ハワイ王国最後 女王「リリウオカラニ」 生涯と現代に残る遺産

ハワイ王国最後 女王「リリウオカラニ」 生涯と現代に残る遺産

公開日:2023.08.25
更新日:2024.07.26

ハワイ王国時代の最後の君主であったリリウオカラニ女王。ハワイ王国の最初で最後の女王であり、悲劇の女王とも呼ばれるリリウオカラニ女王の生涯や、今もなお訪れることができるゆかりの地についてもご紹介します。

ハワイ王国最後 女王「リリウオカラニ」

photo by Wikimedia Commons

リリウオカラニ女王は1838年生まれ。ハワイ王国第8代目の最後の君主です。女王が在位していた2年間はハワイが王国から共和国に変わった激動の時代でした。

兄であった7代目のカラカウア王がサンフランシスコで亡くなったことにより、跡を継いで8代目の女王となりました。1893年に女王を廃位されてからもハワイの人たちのことを思って行動し、今もなおハワイでは多くの人たちから深い愛情と敬意をもって語られています。

リリウオカラニ 家系図

1795年にカメハメハ大王によって建国されたハワイ王国は、1893年リリウオカラニ女王の治世に終焉を迎えました。

カメハメハ大王(1世)の二人の子供が2世と3世。1世の孫に当たるのが4世と5世の兄弟。5世が独身のまま逝去したため、カメハメハ大王の直系の王がいなくなりました。

そのため6代目のルナリロは初めて選挙で選ばれて王になります。ルナリロ王が独身のまま逝去したので、7代目のカラカウア王も選挙で選ばれました。カラカウア王の妹がリリウオカラニ女王です。

リリウオカラニ 生涯

激動 時代に奮闘

 

リリウオカラニ女王が在位していた2年間、ハワイの西欧人中心の経済界とネイティヴ・ハワイアンの人々の対立が激しくなりました。

アメリカ合衆国への砂糖輸入の関税が撤廃されたため、アメリカ合衆国とハワイ王国との間で結ばれていた互恵​​条約が意味をなさなくなり、砂糖のプランテーション所有者たちはこのままでは王国に自分達の土地が没収されるのではないかとの警戒心から親米派やアメリカ合衆国への併合を望む声も出てきました。

リリウオカラニ女王は1864年にネイティヴ・ハワイアンの権利を取り戻そうと憲法を改正し、新憲法の発布を試みますが、一部の大臣の同意を得られず、退位を迫られることになります。

イオラニ宮殿で 幽閉 

臨時政府が「ハワイ共和国」を宣言しますが、リリウオカラニ女王は廃位していなかったため、女王としての存在は認められており、必ずハワイ王国を取り戻せると信じていました。

そんな折に王政復古を求める声が高まって武装蜂起が起こり、リリウオカラニ女王の邸宅からも武器が発見されたという理由で共和国政府により反逆罪の罪で逮捕されてしまいます。

リリウオカラニ女王はイオラニ宮殿で8ヶ月もの間幽閉され、幽閉中は今もハワイで愛されている歌を作曲をしていたとも言われています。

ハワイ王国 終焉へ 

リリウオカラニ女王は支持者の命と引き換えに廃位することを求められ、支持者の命を救うため同意します。これによりハワイ王国が消滅しました。

幽閉後、リリウオカラニ女王は米国を訪問し、クリーブランド大統領と会談して復権を訴えましたが実現することはなく、その後は女王の夫ジョン ドミニスの実家であったホノルルのダウンタウンにあるワシントンプレイスで、78歳で死去するまで暮らしました。

美しい白亜の館であるワシントンプレイスはハワイ州知事公邸として使われていたこともありますが、今では博物館として公開されています。

リリウオカラニによって生まれた名曲たち

photo by Wikimedia Commons

リリウオカラニ女王は音楽を愛し、150曲以上の歌を書いた優れた音楽家としての一面もありました。ハワイ語の詩と賛美歌のメロディーは現代のハワイアンミュージックの基礎を築いたともいえます。

有名な“Aloha ʻOe”は女王がイオラニ宮殿に幽閉されているときに書いたものだと言われていますが、記録によると女王になるかなり前に作られたことがわかっています。

“He Mele Lāhui Hawaiʻi”はハワイへの神の加護を願うハワイ王国最初のオリジナル国歌でした。

リリウオカラニ女王の作った曲はウクレレで演奏されたり、フラで踊られることもあります。

リリウオカラニゆかりの地

リリウオカラニ女王にまつわるスポットは今でも大切に残されており、観光地として訪れることができますので、ハワイ旅行中に機会があればぜひ足を運んでみるのはいかがでしょう。オアフ島で2箇所、ハワイ島で1箇所ご紹介します。

リリウオカラニ 銅像 

photo by Wikimedia Commons

ホノルルのダウンタウンにあるリリウオカラニ女王像。イオラニ宮殿とハワイ州政庁の間に、宮殿に背を向けるような形で建てられています。

左手には女王作の名曲「アロハ オエ」の楽譜、ハワイの創世記「クムリポ」の原稿、そして新憲法の草案が握られています。今もなおハワイの人に愛され、敬愛の対象であるリリウオカラニ女王。銅像の前では女王の式典や儀式が開催されることもあります。

住所

415 S Beretania St Honolulu, HI 96813

電話

なし

入園料

無料

アクセス

ワイキキからuberまたはタクシーで15分ほど$20前後、イオラニ宮殿とハワイ州庁舎の間

イオラニ宮殿 

リリウオカラニ女王が8ヶ月の間幽閉されていたアメリカ合衆国唯一の宮殿です。正面から見て2階の右端の角部屋に女王が幽閉されていたと言われています。

宮殿にはカラカウア王の時代にハワイ王国の繁栄を象徴するかのように、内線電話や水洗トイレ、照明設備まで当時の最新の設備が導入されていました。

ハワイ王国滅亡後はしばらくハワイ共和国庁舎としても使われていました。

住所

364 South King Street, Honolulu, HI 96813

電話

808-522-0822

開館時間

9:00〜16:00

閉館日

日曜、月曜、祝日

アクセス

ワイキキからuberまたはタクシーで15分ほど$20前後

入館料

オーディオツアー 大人$26.95
ドーセントツアー 大人$32.95
(共に小児料金あり)
その他も複数ツアーがあり、公式サイトより予約可能。

URL

https://www.iolanipalace.org

 

リリウオカラニ公園

photo by Wikimedia Commons

日系人の多く住むハワイ島ヒロの町にある美しい日本庭園。

1919年に開園し、今では世界でも最大級の日本庭園として知られています。

リリウオカラニ女王が寄贈した土地に周辺の土地も加わり、現在は約3万坪の広い公園で、ヒロで暮らす人たちの憩いの場となっています。

リリウオカラニ女王逝去の直前に庭園の造成が決定し、当時流行していた日本式の庭園が造成されることになりました。庭園には燈篭や鳥居があり、本格的な茶室まであります。

住所

189 Lihiwai St #151, Hilo, HI 96720

電話

なし

営業時間

24時間

定休日

無休

入園料

無料

アクセス

ヒロ空港から車で10分ほど

リリウオカラニからハワイの歴史を知る

リリウオカラニ女王はハワイの激動の時代を生きた、ハワイの歴史を語る上で欠かす事のできない人物です。ハワイの歴史をよく知らなかったという方も、ハワイ滞在中には女王ゆかりの地に足を運んで、ハワイの歴史を感じてみてはどうでしょうか。